先日街中ですれ違った人の着物の色が、「何色」とひとことでは言えないなんとも絶妙な、微妙なグレーでした。「あれは何という名前の色なんだろう?」
着物なのでとりあえず、400色を越えるという日本の伝統色(和色)を調べてみると、いろいろ意外なことがわかりました。
四季のある日本では、古くから暮らしのさまざまなところにその時期や、季節の影響を強く受けてきました。
例えば、暦。新暦では1年を12ヶ月に分けて、簡単に1月、2月…としていますが、旧暦では気候や祭事に関連した、和風月名(わふうげつめい)を使っていました。
今でも12月になるとあちこちで使われる「師走(しわす)」は、和風月名の代表的なものです。
他にもいくつか紹介すると、お正月のある1月は家族・親族が一同に集まり、宴などして仲睦まじく過ごすことから「睦び月(むつびつき)」。それを略して「睦月(むつき)」。
稲の苗を植える月なので「植月」であるとか、卯の花が咲く季節なので「卯の花月」から、4月を「卯月(うづき)」。
各月の名前の由来はひとつではなく諸説あるようですが、どれも頷くものばかりで昔の人が自然と共生していたことがよくわかります。
このような四季の気候や自然は暦だけではなく、日本ならではの伝統色(和色)にも反映されています。伝統色一覧を眺めていると、これから迎える春なら、梅の枝からきれいな鳴き声を聴かせてくれる小鳥の「鶯色」に、私たち日本人が大好きな桜の「桜色」といったおなじみのものから、「茄子紺」や「浅葱」といった野菜が由来のもの。
なかには、「錆御納戸(さびおなんど)色」や「空五倍子(うつぶし)色」など、名前を読むことも難しかったり、名前からはどのような色か想像できないものもたくさんあり、意外にも“茶”がつく名前の色が多くあることに気がつきました。
でも、なんだかおかしいですね。現代の私たちは、お茶は何色?と聞かれたら茶葉や湯呑に入った緑色をイメージします。ですが、伝統色一覧や辞典などのカラーチャートを見ると、茶色はいわゆる茶色(Brown)で土を思わせる色だったり、灰色(grey)のバリエーションになっています。茶色の“茶”って、お茶の色ではないのでしょうか?
日本のお茶の歴史は、平安時代初期に遣唐使たちが帰国の際に持ち帰ったことから始まったとされています。その後、鎌倉時代に宋(現在の中国)の留学から帰国した栄西(えいさい)が、乾燥させた茶葉を粉末にして飲む「点茶(抹茶)法」を伝え、喫茶の文化として広がっていきます。
貴族や武士が抹茶をたしなんだのに対し、庶民が飲んでいたのは、摘んだ生の茶葉を干しただけで作るような簡易的なお茶だったといわれています。
ただ干しただけのお茶は乾燥するまで長い時間がかかり、その間に生葉自身の中にある酵素で発酵(酸化)するので、淹れたお茶の色は茶色(Brown)になります。発酵茶である紅茶や、ウーロン茶などが茶色いのと同じですね。
その後、江戸時代中期に煎茶の祖とよばれる永谷宗円(ながたにそうえん)により、現代まで続く「宇治製法」が誕生したことで、お茶は緑色の水色(すいしょく)になりました。
「宇治製法」とはまだ蒼い生の茶葉を蒸して手早くしっかり乾燥させる製法で、発酵が進まないうちにこれを止めています。これにより、生の茶葉の緑色がそのまま出るようになったのです。
つまり「宇治製法」ができるまで茶の色は、緑ではなく茶色(黄色や赤褐色なども含む)だったのです。
茶色のナゾは解けましたが、“○○○茶”といった、名前に“茶”がつく色が多いのはなぜなのか?それは、江戸幕府による庶民への締め付けと関係がありました。
士農工商という階級社会だった江戸時代、世の乱れを排除して身分制度を維持するために、幕府はたびたび贅沢を禁止して質素倹約を推奨する『奢侈禁止令(しゃしきんしれい)』を発令します。
庶民の着るものにも細かい決まりを設けたこの制度では、木綿と麻以外の素材を着ることは許されず、色も茶色、鼠色、藍色のみに限定されました。このように厳しい規制の中でも、江戸っ子はなんとか粋なお洒落を楽しもうと工夫をします。着ることが許された数少ない茶色、鼠色、藍色の中で、繊細で微妙な色のバリエーションを作り出し、「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」といわれる多彩な色を生み出したのです。
「四十八茶百鼠」とは文字通り茶色で48色、灰色で100色という意味ですが、これは言葉遊びであって実際にはそれ以上の新しい色が生まれたそうです。
洒落ものの江戸っ子の心意気、ここにあり!という感じですね。
ふと目に留まった着物の色が知りたくて調べ始めたら、思いがけずさまざまなことを知ることができて、とてもおもしろかったです。そして、改めて日本文化や伝統の素晴らしさを感じます。
幸修園というお茶屋から始まったBROOK’S。これからも変わらず四季折々の行事や日本文化に根付く、“和の心”を大切にしていきます。