お酒を飲んで帰ってきて、最終電車の中から「コンビニでカップラーメンかって帰るぞ」と思っていた。
家について早速湯を沸かし、ひっそりした家で食べるカップラーメンはひどく悪いことをしているような”高揚感”がある。高揚感とは何かアイディアが浮かぶ瞬間だと思う。
先日おやつが何もなくて、おなかを空かせた息子にカップラーメンを食べさせた。
その後食べ終えて出かけていったので容器を片付けようとして驚いた。スープが残してあったから。彼にとってカップラーメンはめったに食べさせてもらえないご馳走なはずなのに、以前、飲むなとしかられたことが染み付いていて、それは残すことが当たり前になっているようだ。無言で残されたスープが私の中でひどく印象的だった。
私はスープをズズズとすべて飲み干しながら、彼の高揚感を親の私が奪っているんじゃないかと少し反省をした。