海外から来日して3週間になる知人が、いまだに富士山を拝めないという。
ついこないだまでキンキンな空気で、綿帽子をかぶった富士山が関東地方の電車の中からも拝めたのに気が付けば春になっていた。
春霞とはなんとも綺麗で、日本的な表現だろうと思う。正体の一部は黄砂だと知ったのは大人になってからだけど、いまだに「春霞」という響きの美しさに救われてるような気がする。
春とは日本人にとって特別な季節。別れあり、出会いあり、その体に染みついた感覚を入学卒業がなくなった大人になってもなんとなく享受する。
私はといえば、顔はマスクで覆いながらも分厚いタイツを脱いで足首に抜ける南風に春を楽しもうと思う。