最近いろんな形をした流しそうめん機がでていて、欲しい欲しいと家族からリクエストを受ける。ちょっぴり私も欲しいなと思うんだけど、すぐ壊れないかな、洗うの大変そうと考え渋ってしまう。
でも何より、私には買わなくてもいいと余裕に構えさせる理由がある。それは本物の流しそうめんを体験したことがあるということである。高校時代に同級生宅へ泊まった日の午後、友人のお父さんが「流しそうめんをしよう」と言い出し裏山から竹を切ってきた。その節を器用にそぎ、連結し、井戸水を利用して立派な流しそうめんをご馳走してくれた。その記憶は20年以上たった今でも色濃いのだ。
本物の「流しそうめんを体験する」ということは、ひょっとしたら「イルカと泳ぐ」とかと同じくらい人生に一回体験すれば余裕を持って人生を送れるものの一つじゃないかと思う。夏休みの日常は実はそんな出来事であふれているんじゃないだろうか。