header

2016
5/12

新緑まぶしい丹沢にキャンプへ行ってきました。
我が家のキャンプ歴も二ケタを超えました。
今回訪れたキャンプ場は数年前、初めてキャンプをしたときにきたキャンプ場。その時は闇の大きさに恐怖心を覚えました。でもそれと同時に奮い立つほどの解放感や創作意欲を覚えたのも記憶しています。
何度か訪れるうちに場所に親近感を持つようになったのか、もっと不便を求めるようになったのか、恐怖心はほとんどなくなってしまいました。
今、我が家の子供たちは頭の中の“鬼”の存在を怖がり夜9時になると慌てて寝てしまいます。恐怖心とは想像力と似てるかもしれない、と星空の下で思ったのでした。

2016
5/6

朝五時の始発に向かう。この時期もう真っ暗闇ではないけれど、駅への道のりは一日の序章すら始まってないような不安感を覚えた。
朝帰りは除いて、おそらく始発に乗るというのは初めての経験。
駅に近づくと、申し合わせたようにちらほらと人が駅へと向かう。
彼らが目指すものはその前でもなく、後でもなく、五時九分の始発だ。
まるでその時間から始まる劇場を目指すように。
急行は止まらない最寄り駅にも、もうすでに多くの人が始発を待っていた。
彼らの職業はなんだろう。
毎朝あのおぼつかない空気の中駅へ向かう彼らは、何時に寝て何時に起きるんだろう。
そんな好奇心を持ちながらホームで3分電車を待つ。
電車が早朝には似合わない音を立てて到着すると、この街の一日が始まる。

2016
4/28

先日姉の家にピアノの調律師が来た。お互い忙しく普段めったに電話もしないのにわざわざそれを言いに電話をかけてきた。
姉は覚えていなかったけど、姉が大学進学で実家を離れるときにもらった手紙の中には、ピアノの音がぼやけないように頻繁に弾いてほしいと書いてあった。
それを未だに覚えている自分にとっても調律師の存在はどことなく大きかったのだと思う。
年に一回やってくる調律師のおじさんは作業着を着ていて、無口で、子供の私にはわからないピアノの叫びをくみ取って修正してくれていた。
今回姉の家にやってきた調律師さんは音がきちんと治っているか確かめるために時々Jazzを弾いたという。無口な魔法使いのような調教師。狂った音を治す彼らは、家の中の波長すら整えてくれているのかもしれない。