2017
3/2
お酒を飲んで帰ってきて、最終電車の中から「コンビニでカップラーメンかって帰るぞ」と思っていた。
家について早速湯を沸かし、ひっそりした家で食べるカップラーメンはひどく悪いことをしているような”高揚感”がある。高揚感とは何かアイディアが浮かぶ瞬間だと思う。
先日おやつが何もなくて、おなかを空かせた息子にカップラーメンを食べさせた。
その後食べ終えて出かけていったので容器を片付けようとして驚いた。スープが残してあったから。彼にとってカップラーメンはめったに食べさせてもらえないご馳走なはずなのに、以前、飲むなとしかられたことが染み付いていて、それは残すことが当たり前になっているようだ。無言で残されたスープが私の中でひどく印象的だった。
私はスープをズズズとすべて飲み干しながら、彼の高揚感を親の私が奪っているんじゃないかと少し反省をした。
2017
2/23
ランチの後、喫茶店でお茶を飲むことになりました。私は土地勘がなかったので「どこかいい所ご存知ですか」と聞くと、会話も歩幅もそこに合わせた様にレンガの階段の前に到着しました。
店内に入るとそこは昼間だというのに夜のように薄暗く、スタンドに揺らぐ煙草の煙と、コーヒーの香りと、石油ストーブの匂いが充満した喫茶店でした。
「この店は僕が学生のころからあるんですよ」と還暦を過ぎた紳士が言いました。
どおりで壁のレンガは真っ黒で、低めの天井は大きなかまくらのようでした。
そこで私たちは食事に掛けた時間よりもゆっくり時間をかけて2杯のコーヒーを飲み、壁に染みこんだ会話や煙に囲まれて映画の話を楽しみました。
帰りの電車の中で、夢の名残りのように自分のコートから煙草の香りがしました。
2017
2/16
この歳になっても日付にはなんらかの記憶が染みついていて、いまだにああ、今日は幼稚園が一緒だった〇〇ちゃんの誕生日だったな、とか大事なバスケの試合の日だったな、なんて思い出します。
そんな中、もちろんバレンタインの2月14日には、いろんな苦い経験が影を潜めています。(甘い思い出もあったかもしれないけど思い出されるのはいつも苦い方。)
今日は2月の16日。私にとってはなんだか不思議な日付。たまたま自分の身近にこの日のお誕生日がいないのもその理由だけど、おそらく一番の理由は、濃い記憶が盛りだくさんのバレンタインの後だからなのかなと、ふと思いました。
1月くらいから、包装紙やセリフまで綿密に計画を立てていた私は、いつもこの頃は抜け殻になっていたのを思い出しました。