header

2016
3/11

海外から来日して3週間になる知人が、いまだに富士山を拝めないという。
ついこないだまでキンキンな空気で、綿帽子をかぶった富士山が関東地方の電車の中からも拝めたのに気が付けば春になっていた。
春霞とはなんとも綺麗で、日本的な表現だろうと思う。正体の一部は黄砂だと知ったのは大人になってからだけど、いまだに「春霞」という響きの美しさに救われてるような気がする。
春とは日本人にとって特別な季節。別れあり、出会いあり、その体に染みついた感覚を入学卒業がなくなった大人になってもなんとなく享受する。
私はといえば、顔はマスクで覆いながらも分厚いタイツを脱いで足首に抜ける南風に春を楽しもうと思う。

2016
3/4

小さいころ、時々左右がちがう靴下だったことがありました。同じ白いスクールソックスなのに微妙にストライプの幅が違ったり、長さが違ったり。どうしてそんなことが起きていたのかしばらくわからなかったけど、先日ひょんな会話からその理由が判明しました。
靴下に穴が開くと、母親はそちらだけ新しいものと入れ替えていたのです。
靴下だけではありません。当時汲み取り式だったトイレに時々スリッパを片方落としてしまったときも片方ずつ足されていたのです。
最近スーパーで水仕事用のゴム手袋が右2本、左2本という売られ方をしているのを発見しました。時々あるのです、片方だけ水が入って使えなくなるということが。それにしても、ちょっと斬新なこの売り方を友達に話したところから、靴下の謎にたどり着きました。これを発案された方も幼少時代にそんな記憶があるのかなと妙に親近感を覚えたのでした。

2016
2/26

小2の息子が、最近寝ても覚めてもある映画の話ばかりしてくる。年末にシリーズ7作目が公開になったあの映画だ。
話題はいつも質問形式になっていて、1本もじっくり見たことのない私にとってはちんぷんかんぷんなものばかり。
そんな暖簾に腕押しのような状態でも彼は彼なりに質問しながら楽しんでいる。
ある夜。寝る直前になってから学校の連絡帳をその映画仕様にしようと言い出して、わき目もふらぬ集中力で何やら書き始めた。出来上がったのは白い紙に映画のタイトルをレタリングしそれを連絡帳のノートに貼り付けただけのもの。しかもカタカナで。
その字を見ているだけで彼の気持ちはトリップできるらしい。
思えば……私もノートの片隅に好きな先輩の名前を書いて、時々それを眺めていたなぁ。
文字とは宇宙よりも広いのかもしれないですね~。