コーヒーの店事始
日本ではじめて本格的なコーヒー店ができたのは、明治21年(1888年)4月13日のことでした。
日本にもフランスの文学カフェ(文学者や画家たちが集まり談笑したコーヒーハウス)のような文化を推し進める場をと鄭永慶(ていえいけい)という人が東京の上野西黒門町に開いたのが日本ではじめてのコーヒー店『可否茶館』です。
彼は、開店にあたって四六判16頁の「可否茶館広告」を著し、その中で世界各国のコーヒー店の歴史や概要を紹介するなど、コーヒー文化の普及にも熱心でした。
しかし、商売としては時期尚早であったために明治25年には、店をたたむこととなってしまいました。


コーヒーのおいしい温度は?
コーヒーは、熱いうちにあわてて飲みほすものではありません。熱すぎるコーヒーは味がわかりにくく、むしろ適度に冷めたほうが味はよくわかるのです。
では、どのくらいの温度のコーヒーがいちばんおいしいのか、というとそれは個人差もあるし、他の要素もあっていちがいに何度ということはできませんが、毎日のコーヒータイムにいろいろ試してみて、あなたがいちばんおいしいと感じる温度をさがしてみるのもコーヒーの楽しみ方のひとつかもしれませんね。


ブレンド
コーヒーの味わい方には2通りあります。まず一種類の豆をストレートで味わう、もう1つは、ブレンドと呼ばれているように、何種類かの豆を混ぜ合わせ別の味をつくって味わう方法です。ブレンドといっても、何でも混ぜ合わせればよいというものではありません。厚味のあるバランスのとれた味をつくっていく、自分のねらい通りの味をつくっていく、これが、ブレンドの醍醐味です。それには、次の3つが重要なポイントになります。1つは、自分がどんな味をつくりたいか、そのイメージをしっかり持つことです。もう1つは、ブレンドする豆には、必ず何らかの特徴があります。たとえば、柔らかい苦味、香りの良さ、シャープな酸味など、これらの持ち味を生かしながら、自分のイメージした味を計算しなくてはいけません。最後に、それぞれの豆の味を知らなければならないことです。つまり、どの豆をどの程度焙煎すれば、どのような味になるのかをです。これは、経験を積み重ねて訓練するしかないのです。


マイ・ブレンド
コーヒー専門の喫茶店も随分増え、その店独自のブレンドを`おすすめ´なんて、メニューにのっています。
そこで、自分のおすすめブレンドを作ってみませんか?そのための基礎を少し…。
まず、最初にベースを決めます。これは、自分の最も好きな味をベースにします。そこに他の豆の味を、アクセントとして加えていきます。配合の比率はベースを50〜60%に置き、他の豆とおおよそ、5対3対2くらいの比率がよいでしょう。豆の組み合わせですが、原則的に似た味の豆は、組み合わせないことです。要はいかにバランス(香り、酸味、苦み)のとれた味をつくるかです。初めてブレンドを作る時は、そう何種類もの豆は必要ありません。コロンビア、ブラジル、モカ、マンデリン、グァテマラの5種類もあれば十分です。
豆の組み合わせ、配合率をかえて、自分の好きな味をさがすのも、コーヒーの楽しみ方のひとつですね。もうひとつ最後に、記録をとるのを、お忘れなく!


ミルクと砂糖を入れた人
コーヒーにミルクを入れて飲んだ第1号は、オランダ人ニューホフでした。場所は意外にも中国で、彼はミルクティーを飲みたかったのですが、なかったのでコーヒーにミルクを入れその代用としました。
それから85年も経ったフランス。今度はシュール・モニン医師がミルクをたっぷり入れたコーヒーを調合。なぜかこの飲物が薬用として使われたのです。後にフランス人にとって欠かせないカフェ・オ・レとして、ポピュラーな飲物となりました。
砂糖の方は1630年頃カイロで。コーヒーのダメだった人間がいて、砂糖で甘くして飲んだという、あたりまえの話でした。


インスタント・コーヒーの発明
家庭で飲むコーヒーとして、最も親しまれ現在のコーヒーの普及のきっかけを作ったインスタントコーヒー。この発明者は加藤サリトリ博士という日本人。ところが当時(明治32年)の日本ではインスタントコーヒーの販路がなかったため、彼はアメリカへ渡りシカゴに加藤商会を設立。明治34年パンアメリカン博覧会にて初めて発売しましたが、特許をとっていなかったため、まぼろしの発明者となってしまい、明治36年には、アメリカ人ジョージワシントンが別の方法でインスタントコーヒーの特許をとってしまいました。
インスタントコーヒーの製造工程は、焙煎されたコーヒー豆を粗挽きにし、コーヒー液を抽出。次に粉末にするのですが、2つの方法があり、1つはスプレードライ方式で、抽出液を霧状にしながら乾燥させ粉末にします。もう1つは、フリーズドライ方式で、抽出液をマイナス40度にまで冷凍乾燥させ粉末にします。


ベートーベンのこだわり
ベートーベンがコーヒー好きだったというのは有名な話です。必ず自分で淹れ、また、その内容はコーヒーカップ一杯分に豆は60粒。正確に豆の数を数え、トルコ式ミルで挽きました。後にこのミルは「ベートーベンミル」と呼ばれ、現在でもドイツのコーヒーショップのディスプレイで見かけるそうです。


バッハの抗議
バッハはコーヒーマニアでした。コーヒー反対運動が起こると、それに反発し音楽をつくりました。詩人ピカンダーとともに「コーヒーカンタータ」という曲で、父と娘のかけ合いがあります。
(娘)ああ、コーヒーのおいしいこと。千のキスよりすばらしく、マスカットぶどう酒より甘いわ。コーヒー、コーヒーはやめられない。
(父)コーヒーをやめないなら外出禁止だ。
こんな風刺喜劇ですが、「たかがコーヒーで」と思うのは今の時代、コーヒーを飲む飲まないで家庭騒動に発展するなどめったにないほど、コーヒーを気軽に飲めるようになったからでしょう。


コーヒーと水
いかにおいしいコーヒーを淹れ、いかにおいしくコーヒーを飲むかには、いろいろなこだわりがあると思いますが、究極は水ではないでしょうか。
水は硬水より軟水の方がよいことはいうまでもありません。硬水の多くは地下水ですが、これに含まれるカルシウムやマグネシウムが、コーヒーに悪影響を与えるので嫌われているわけです。
しかし今日では、水道水を使うことが一般的で、水道水は軟水ですし沸騰させて使うので、必要以上にこだわらなくてもよいようです。
ただ、ひとつ注意したいことは、必ず新しい水を使うということです。つまり、ポットのお湯や2度湧かしのお湯はコーヒーには向きませんので、新しい水を沸かしたお湯、二酸化炭素がいくらか溶けている状態のお湯が最適です。


コーヒーの濃さ
日本人が一般的に飲んでいるコーヒーは、粉末を10〜12gぐらい使って1杯分に仕上げられたものです。これだと、何杯もおかわりして飲むのはちょっと濃いかもしれません。アメリカやヨーロッパに比べて、なぜ日本のコーヒーが濃くなったのかというと、嗜好的飲み物として発展していた日本の事情によるものからのようです。
しかし、これもこれまでがそうであったということで、最近の若者などを見ていると、コーヒー慣れしたせいか、薄いコーヒーも当たり前のように飲んでいます。
1日に何度も喫茶店に入ることになると、今度は何を飲もうかとうんざりさせられることがあります。さすがにもうコーヒーはいいという気持ちになります。そんな時は薄いコーヒーをたのむと抵抗なく飲めるものです。
そういうことが理由になって最近の流行があるのでしょうが、これはコーヒーが次第に嗜好的飲み物から脱して、常飲されるものになったといえるでしょう。せいぜい日に1杯か2杯だったものが、3杯も4杯も飲むということになれば、さっぱりしている方がいいというのも当然のことです。これは家庭で飲むときも同じことで、頻繁に飲むような人には体のためにも薄いコーヒーを淹れることをおすすめします。
コーヒーの濃い薄いは、粉末の量や焙煎の度合いも関係があります。1杯分の粉末に1.5倍の湯を使えば、当然コーヒーは薄くなりますが、同時に風味も薄くなってしまいます。風味を損なわずに薄いコーヒーを淹れるには、浅煎りの豆を使うとか粗挽きの粉を使うということが必要です。これならば、砂糖やミルクも入れずにストレートで飲めます。


コーヒーの発祥
コーヒーの発祥地がエチオピアであることは、あまりにも有名になっています。
その種子がアラビアに渡って栽培され、今日のアラビア・モカになったのです。今から約千年前、白人探検家たちが道に迷って山の中で食料が欠乏して困っているときに、木の実を発見したのがコーヒーの実でした。けれど当時はそれが何であるかわからなかったのです。
いろいろ苦心して焼いたり、煮たりしましたがどうにも食べられません。ところがブンナーという兄弟が、煎じて飲むという今の方法を発見して脚光を浴びました。今でもエチオピアではコーヒーのことをブンナーとも呼んでいます。
エチオピアには今でも野生のコーヒーが多くの地方に大量産出されています。現在栽培されているのはアラビアのイエーメン地方から移植したもので、主としてハラー高原地帯に行われていましたが、今では国の奨励により国内各地で収穫され、南西部のカーファ地方、南部のシダモ地方がエチオピア・コーヒーの主要産地となりました。


コーヒー豆の挽き方
おいしいコーヒーを淹れる条件として、良質の「生豆」から適格な「煤煎」へ、さらにそれを受けて3番目の重要なポイントは「グラインド」つまり豆の挽き方です。
おいしさを抽出するのに望ましい挽き方とは、(1)挽いた粒のばらつきが出ないようにすること。(2)摩擦熱と微粉の量を最小限に抑えること。(3)抽出法に合う大きさの挽き方をすること。以上の3点がポイントになります。
挽いた豆が大小不揃いであると抽出の際に濃度のばらつきが出ます。粒が小さすぎて湯との接触面積が大きくなると、その分だけとけ方が多くなり、コーヒー本来の良質成分をこえた雑味成分が混じり込んで胃にもたれるような重いコーヒーになりますし、逆に粒が大きすぎるとその粒は抽出不足で薄い香りや、コクの不十分な水っぽいコーヒーになります。濃い液と薄い液が混じり合って濃度だけは中間的に落ち着きますが、おいしいコーヒーにはなりません。
原因として、ミルの機能に問題があるか、コーヒーのムラ焼けが考えられます。
次に、摩擦熱と微粉の問題です。ミルは構造から考えると、縦横の溝刃を使ってコーヒー豆をカットしながら挽いていくカッティング・ミルと臼刃でコーヒー豆をすり潰して砕きながら挽いていくグラインディング・ミルがあります。グラインディング・ミルの場合、摩擦熱による豆の酸化とある程度の微粉が出やすくなります。微粉や豆の渋皮(シルバースキン)は、煮出すと不快な渋味や苦味をともないます。
この点を考えると、家庭用のミルの場合、手動式なら軽く回してなるべく摩擦熱が生じないように気をつけます。電動式ならカッティング・ミルの方がよいでしょう。
粒が揃って、チャフ(微粉や豆の渋皮)がなく、熱の影響を受けないコーヒーは澄んで香りもよく、味が素直です。


コーヒーは煮出すもの?!
むかしむかし、今からおよそ千年以上も前のこと。アラビアではコーヒーの果実をそのまま食べたり、果汁を発酵させてお酒にしたり、煮出して薬として用いていたと伝えられています。嗜好品としてのコーヒーのいちばん最初の飲み方は、サルタナコーヒーとよばれる、生豆を殻ごと煮出してその汁を飲むというあらっぽいものでした。そのうちに生豆のまま使うのではなく、洗って煎った豆を臼で砕いて煮出し、その上澄みを飲むトルココーヒーの飲み方へと変わっていくのですが、この方法はなんと、その後200年もの間ほとんど何の改良も加えられないまま続いたのです。
トルココーヒーは隆盛を極めましたが、1717年、リンネルの袋にコーヒーの粉を入れ、湯の中につけて浸み出させるという現在のティーバッグのような方法が、フランス人によって考案されたと伝えられています。


ドリップはフランス人の発明
1800年、ド・ベロイという人により、ドリップポットがパリで発表されました。これはポットを2つ重ねた形のもので、上のポットの底に小さな穴をたくさんあけ、ここにコーヒーの粉末を入れて、上から熱湯を注ぐというものですから、原理としては今のドリップ式と同じです。しかしこのドリップ・ポットはすぐに受け入れられませんでしたが、この発明をきっかけにして、いろいろなコーヒーの抽出器具が考案されるようになりました。
次いで考え出されたのはコーヒー・ビギンです。これはポットの中に布袋をたらしたもので、これこそ現在のドリップ式の原形ともいえます。この方法はポットの中に袋がぶら下がるので、コーヒーをこすだけでなく、煮出すこともできるという点が大いに歓迎されたといわれています。また、ペーパーフィルターを使ったドリップ式は地味な方法で、演出効果といったものも便利さもありませんが、最もコーヒーの味を正確に取り出せるという長所があります。ドリップ式には器具にたよる部分がなく、すべて自ら手をかけなければならないことに手作り的な興味と、多少なりとも技術にコツのいるおもしろさが、現在、世界中で最も人気のあるゆえんでしょう。


木と水の大地から
コーヒーの王様といわれるブルーマウンテン。その故郷ジャマイカは、キューバの南東150kmのカリブ海の只中にあります。
面積は秋田県とほぼ同じくらいの小さな島国ですが、カリブ海を代表するリゾート地として知られています。特に、北の海岸のモンテゴベイやオチョリオスの美しさは世界的にも有名で、プライベートビーチを持つ高級リゾートホテルが立ち並んでいます。
ジャマイカとは、先住民アラワク族の言葉「ザイマカ=Xaymaca(木と水の大地)」を語源としています。緑の森林に覆われ、たくさんの川が流れるこの島を、そのまま表している名前といえるでしょう。英連邦に属するこの国は、公用語は英語。人々はカリビアンの陽気な気質の中にも、イギリス的な厳格な一面をのぞかせることもあります。
首都キングストンの国際空港を降りると熱帯特有の強い日射しがまぶしく、蒸し暑い空気と、スピーカーで流されるレゲエミュージックの独特のリズムが体を包みます。ここは人口の1/4にあたる80万人が住む、ジャマイカ第一の都市です。
キングストンから内陸方面へ向かって車30分ほど走れば、ブルーマウンテンの入口です。この山は標高2,256m。山頂はいつも霧に覆われ、ほとんど姿をあらわすことがありません。
曲がりくねった急な坂道を登って行くと、標高800m辺りからコーヒーの木が見え始めます。山中は霧が出てひんやりと涼しく、木々に囲まれた避暑地の趣きがあります。キングストンのお金持ちは暑さを避けてこの山の中に自宅を構えています。夜にはキングストンの町の夜景も楽しめるのです。
さて、切り立った断崖絶壁に沿ってさらに登り続け、標高1,200mに至ると、ブルーマウンテンのコーヒー畑となります。昼間は熱帯の暑い日射しを受け、夜は山であるためかなり冷え込みます。また朝と夕方には霧が出て、草木はしっとりと湿りを帯びます。この寒暖の差が大きいこと、霧が出ることが、コーヒーの栽培にとってまさに最高の条件となっているのです。
コーヒーの樹の葉は青々と力強く茂ります。コーヒーチェリーは真っ赤に熟し、丁寧に摘み取られてブルーマウンテンコーヒーとなります。山上からキングストンの町を眼下に見下ろして飲むとき、この「木と水の大地」の贈り物は、どんな味わいを与えてくれるのでしょう。


おいしいコーヒーが飲める国
<木と水の大地から>の話の締めくくりです。
ブルーマウンテン(山)からキングストンを見下ろして飲むコーヒーは、実はあまりおいしくなかった、というのが事実です。
この話を聞くとがっかりされてしまうかもしれませんが、外貨を稼ぐために、よいコーヒーはやはり輸出に回されているのが現状です。とくにブルーマウンテンやグレードの高いものは、ほとんどが輸出用とされ、全体の90%ほどが、日本へ送り出されています。生産国で飲まれているコーヒーは、輸出向けにできなかった、いわゆる規格外の原料豆を使用にているのが現状のようです。
これを逆にいうと、日本に輸入され飲まれているコーヒーは、ブルーマウンテンに限らず、その生産国の最高級の品質のものであるということです。


常夏に島とコーヒーの歴史
最近は海外旅行へ出かける人がずいぶんと多くなりました。特に手軽に出かけられると人気なのがハワイ。日本人になじみの深いこのリゾートアイランドでもコーヒーは栽培されています。
観光客に人気の高いオアフ島から、すぐ隣にある通称ビック・アイランド、ハワイ島へは飛行機やクルーザー等で行くことができます。この島の西海岸にある山、1,300フィート(約4,000m)以上もあるアウナロア山・マウナケア山の西側斜面のコナ地方でコーヒーは栽培されています。
火山島であるハワイのコナ地方は石灰質の土壌を持ち、そこで栽培されるハワイ・コナ・コーヒーは強い酸味を特徴としています。グレードはスクリーンサイズ。欠点豆の数に応じ、良質の物からエクストラ・ファンシー、No.1と分けられています。
コナ・コーヒーの持つ個性的な酸味を和らげるため、焙煎を深くしたり、エージングさせる方法をとっており、現地のおみやげ物で売られているコーヒーは、かなり深い焙煎のものが多いようです。また、生産されたコーヒーのほとんどはアメリカ国内のレストラン・高級ホテルなどで消費されています。
ハワイでは、古くから日系移民もコーヒー栽培に従事しています。歴史を紐解くと、「日本人のハワイ移民が1885年(明治18年)に約900名が渡航した…。一部はハワイ西部のコナ地方で、コーヒー栽培に従事。ハワイのコナ・コーヒーが、明治時代からわが国に輸入され、よく知られていたのは、そのためである。」(日本コーヒー史より)
このように年配の人にはなじみの深いコーヒー。ぜひ、現地でビーチを眺めながら飲んでみたいものです。


1994年のブラジルの嘆き
「天災は忘れた頃にやってくる」ということなのか、1994年、ブラジルに19年ぶりの大きな災厄に見舞われてしまいました。霜によるコーヒーの被害です。
コーヒーの木は非常に丈夫な樹木です。また、その果実の種子であるコーヒー豆は、昼夜の温度差が大きいほど良いものができるといわれています。しかし、元来赤道を中心とする熱帯の植物ですから、霜が降りるほど冷え込む地域では栽培できません。霜にあたると葉がやけ、木自体も枯れてしまうのです。特に若木が被害を受けやすく、その結果翌年実をつけることができないため収穫に大きな影響を及ぼします。
6月、寒波が大平洋を北上してアンデス山脈を越え、ブラジルのコーヒー生産地帯を襲いました。数年続いていたエルニーニョ現象がその年は発生せず、南極からの寒気団が北上しやすい状況にあったからだといわれています。寒波は3日間居座り、各地におおきな被害を与えました。さらに7月にも同様の寒波が襲ったため、南のパラナ州をはじめ、サンパウロ州、ミナスジェライス州、セラード地区まで、被害は広範囲に渡りました。
その19年前まではパラナ州がコーヒー生産の一大拠点であり、その被害はこの地区に集中しました。これ以降、ブラジルのコーヒー生産は、霜害を受けにくい、より北のサンパウロ、ミナスジェライス、セラードと次第に移って行ったのです。しかし、1994年の霜害は、これらすべての地域に及び、打撃は甚大で農民の大きな嘆きとなりました。
ブラジルは世界のコーヒーの約30%を産出する、世界一のコーヒー生産国ですが、1994年の被害はその30〜40%、日本の輸入量のおよそ2年分が、霜のために台無しになってしまったことになります。このブラジルの不作をうけて、他の生産国のコーヒーの値段が急騰するなどの影響も出ました。
自然破壊の危険性が叫ばれている地球で、これは自然からの手痛いしっぺ返しだったのでしょうか?


グァテマラのコーヒー
グァテマラのコーヒーは、その品質の良さで世界的にも高い評価を受けています。
グァテマラはいわゆるコーヒーベルトの中にあって、1年中太陽の照り輝く国です。加えて年間降水量も多く、全土でコーヒーが産出されています。特にシェラマドレ山脈の走る南部高原地帯はコーヒー栽培に理想的な条件を備えています。3000メートル級の高い標高を持つ火山群と深く澄んだ火山湖の連なり。昼夜の温度差が大きい山岳性気候と肥沃な火山土壌とがあいまって、おいしいコーヒーが生み出されるのです。
しかし、おいしさは気候風土のためばかりではありません。他の国が生産性の良い、つまりたくさん採れる改良種に植え替えているのに対し、グァテマラのコーヒー樹はティピカ種やブルボン種などの在来種っを多く残しているため、たくさんは採れないかわりに昔ながらの味が守られているからだといわれています。
栽培方法もまた同様です。コーヒー農園は、コーヒーの木と日照りを調節するためのシャドーツリーとが交互に植えられ、まるで自然の森のように見えます。同じコーヒー農園とはいっても、ブラジルの大農園とは全く違う風景です。
コーヒーチェリーは赤く完熟したものだけを手摘みで収穫します。摘み取られたコーヒーチェリーは、水洗いして果肉を取り除き、再度水洗いして12時間から48時間休ませます。
さらに最終洗浄した後は数日間の天日干し。湿り気が残ってはならず、乾きすぎてもいけないという微妙なタイミング。休ませる時間も乾燥の度合いも、すべて長年の経験を持った人によって絶妙な判断が下されるのです。
日本では単に「グァテマラ」とひとくくりにされることが多いのですが、実はグァテマラのコーヒーにはいくつかの名産地、名品があります。アンティグア、コバン、アティトラン、ウエウエテナンゴ、フライハネスなどです。
なかでも、長い歴史を持つ古都の名を冠されたコーヒー「アンティグア」は、香ばしい香り、酸味、コクのバランスが優れ、世界でもとくに高品質なコーヒーのひとつに数えられています。


グァテマラの産地
グァテマラコーヒーの産地にあるアティトラン湖はグァテマラシティーから北へ147Km標高1600mのところにあり、トルマリン(3158m)アティトラン(3535m)サンペドロ(3020m)の火山群を配し、グァテマラの中でも風光明媚なカルデラ湖としても有名です。湖は青く澄んだ水をたたえ、周辺の山々はちょうど富士山を思わせる美しい稜線を湖面に映しています。
湖畔にはマヤ民族の末裔の住む小さな村々がいくつのあり、サンタクルズ、サントペドロサンタマリア等の聖人の名前が付けられていて、民族の信仰の深さをうかがわせます。
マヤ民族は部族毎に異なった言葉を持ち、色彩鮮やかに織られた民族衣装等も部族毎に特徴を持ち、衣装を見ただけでその部族の名をいいあてられるほど民族の伝統を大切に守り続けています。
山の斜面に作られた農園は、日中の強い日射しを受けて気温は30度を超え、夜は予想以上に激しく冷え込む、この寒暖の差が良いコーヒーを作り出す条件なのです。その上アティトラン湖は霜の害を防ぎ、コーヒー栽培には恵みとなる霧をもたらします。
この豊かな自然環境のもとで、マヤ民族は農薬や化学肥料を使わず、水洗い場をそれぞれ持ち、天日による実の乾燥という伝統的コーヒー作りをしています。
種類はブルボン種。高地では低地に比べゆっくりと熟しますが、実の収穫は赤く色付いてから、さらに、完全に熟すまで待たれます。
こうして、酸味が少なく、ふくよかでボディのある魅力的な味わいのコーヒーが実るのです。


最高のコーヒーとは
コーヒー関係の仕事をしていると「どこのコーヒーがおいしいのか?」という質問を度々受けます。これはなかなかの難問であります。コーヒーのおいしさとは一体何なのでしょう。御存じのように一口にコーヒーといっても豆の種類やタイプは千差万別。焙煎方法や挽き方、抽出方法、新鮮さなどが味の決め手となるのは当然のこと。しかし、それ以上に飲む際の時間、場所、相手、雰囲気などといった要素がコーヒーの味わいを左右するのではと思います。単にカップテストの味覚のみでなく、精神的なものの要素もなんだか大きいような気がします。世の中にはいろんな思い入れを持つ人も多く、また最近ではやや情報過多の面もあり、的確な判定をするのは難しいかもしれません。結論的な話をすると、その1杯を飲んでなんだか幸せな気分になれたら、それこそがおいしいコーヒーといえるのではないでしょうか。 香りや味を味わいつつ、飲み終わった後に満足感を得られたら、まさに至福の1杯。 こうして考えるとコーヒーの楽しみ方も広がってきます。またいろいろと比較してみるのもおもしろいものです。例えば日本でも昔からファンが多い「モカ」。「モカ」はコーヒーの起源としての歴史もあり、調べていくとなかなか奥深いものです。「モカ」の特徴はなんといっても他のコーヒーにない特有の香り。日本では「モカ」という表示ができるのはエチオピアとイエメンの両国のコーヒーだけです。ひとくくりに「モカ」といってもエチオピアの場合は産地名をとって、ハラー、ジンマ、シダモ、レケンプチ等といった分け方をします。また精製法からいえば本来非水洗式のコーヒーがほとんどなのですが、一部水洗式のコーヒーもあります。シダモ、イルガチェフ、リム、ベベカなどがそれです。 一方、イエメンではマタリ、ボデイダ、サナニ等の水洗式があります。さらにいえば輸出業者、農園、収穫期などの違いによる味の微妙な差異もあります。これらすべてに「モカ」という表示がなされているわけですが、厳密にいうとそれぞれ微妙に味が違っています。したがってモカはおいしいとか、ブラジルが1番とか一概にはいえないのです。 インターネットでは、次々とネットを渡り歩いて自分の気に入ったネットを探すネットサーフィンなるものがありますが、コーヒーもコーヒーサーフィンをしてお気に入りを見つけてはいかがでしょうか。


イタリアンとエスプレッソ
ここ数年来のイタリアンブームはすっかり定着した感があり、誰でも気軽に行けるレストランがたくさんあります。 以前はイタリアンというと、オリーブオイルをたくさん使ったお腹に重い料理という印象もありましたが、さっぱりとした料理もたくさんあるのが人気の理由でしょうか。ピッツアを例にとれば、厳選された小麦粉で作った生地をシンプルにモッツレラチーズだけで焼き上げ、生のトマトやバジル、生ハム、サーモンをトッピングしたサラダ感覚のメニューなど…イタリアンならではのおいしい料理がいっぱいあります。 ヘルシー指向はイタリアでも同様で、旬の食材を使い、素材の持ち味を生かした料理をあっさりしたソースで食べるそうです。そして食後には必ずエスプレッソコーヒー。日本ではエスプレッソをアレンジしたコーヒーが大人気ですが、イタリア人のエスプレッソへの思い入れは相当なもので、カップにもこだわりを持ち、エスプレッソ用には小ぶりで厚みがあり、逆三角形で、容量は50〜60cc程度をよしとします。その小ぶりのカップにきめの細かい泡立ちのエスプレッソコーヒーがカップの1/3程度入り、甘味や苦味の芳醇な香りが漂います。大方は砂糖を入れ味のバランスをとります。口に含むとややぬるめながら、ボディ(こく)、ふくよかさ、苦味、酸味、アロマといったコーヒーのエッセンスがいっぱいにひろがるのです。 イタリアンブームはレストランから家庭へと広がり、パスタ、オリーブオイル、ワイン、トマトの缶詰、チーズや生ハム、バルサミコ酢(北イタリア、モデナ産で、長時間樽にねかせて造られる香り豊かな黒酢)とどんどんイタリアの食材が日本へ入り込んできています。イタリア料理の本も次々に発行され、イタリア版おふくろの味も容易に再現できるようになりました。


コーヒーの相場
コーヒーの生豆の輸入価格は、国際相場と為替の動きによって決まります。国際相場はニューヨークとロンドンのコーヒー取引所で売買価格が決まりますが、産地国の「生産見込み」が価格に影響を及ぼします。豊作の見込みの時には安くなり、自然災害などで生産量が少なくなりそうな予測が出ると、取り引き価格は大幅に引き上げられます。さらに、値上がりが見込まれると「投機」の対象となり、急騰現象が起こります。 ブラジルのコーヒー生産量は世界の総生産量の1/3を占めると考えられているため、その生産量の見込みは、国際価格の変動に直接影響を及ぼしています。一方、日本ではコーヒー生豆の100%が輸入品のために、国際通貨の変動が密接に絡んできます。円が高ければ輸入価格は安くなり、円が安ければ当然輸入価格は高くなります。 コーヒーは、寒波が襲ったり霜が降りたりするとダメージを受けます。農園で丹精している人たちが、良質の豆を豊富に収穫できるように願わずにはいられません。



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